銅鐸と古事記”天孫降臨” 「つれづれ樹」 [育まれる(歴史)]
徳川幕府に特徴的な統治政策
諸藩を征圧せずに温存し 代替に参勤交代などを行った。
家康が命からがら 紀伊山地に逃げ込みながらえた経験からか、、、
なんでか? 出来なかったから。。。
都付近でも近くの山岳に逃げ込めばいくらでも生き延びられる。
航空機などの発展がなければ地政学的に 制圧は不可能だった。。。
縄文人が”文字を持たなかった。”定説
なんでか? 全くに必要がなかったから、、、
一族血縁集団で140人程度までなら
必要なことは口頭で伝えられる。。。
自然の恵みが豊かだったから、、、
季節に応じて定移動すれば 食生活に困ることはなかった。。。
縄文の時代って 一万年以上続いてるんだよ!
そんだけ 安定した自然があったから。。。
弥生人≒中国大陸からの難民
これは 数世代にわたって行われ続けた
彼らは 戦いに敗れ北京付近から南方に逃れた
必然に先住していた者も 押し出される。 そして日本に吹き溜まった。
これが数世代続くと、
先に渡来した弥生人と 後からやってきた弥生人
出身地も異なり 大陸での軋轢もあり 日本でも戦争繰りかえしてる。。。
日本人のほとんどが、縄文人と弥生人(渡来系)の遺伝子を受け継いでいるとされています。
沖縄県倫理法人会によると、純粋な縄文人は5%ほどしかおらず、
現代人の75%が縄文人と弥生人の遺伝子を持っているそうです。
沖縄の方とアイヌの方は 遺伝子的類似性が大きいとされてる。
銅鐸は 大陸に原型があり 日本に持ち込まれたもの
使い道も定かではなく 宗教儀式的なものとされてる。
当然に 列島内でも西から 東方に移っていったものでしょう。。。
古事記は 弥生から平安時代の間 712年に編纂されてる。
くに産み神話の中に 淡路島がでてる。 それなりの場所だったんですね。
さまざまな弥生のルーツが あったのでしょう。。。。。
ただ 古事記を編纂した民族は、、、
島根県に ”天孫降臨”した渡来人と 考えても良いのでは、、、、、
松帆銅鐸、荒神谷6号鐸とも兄弟銅鐸 弥生時代、広域交流裏付け '16,10/26
松帆銅鐸の5号鐸(左)と荒神谷遺跡の6号鐸。
同じ鋳型から作った「兄弟銅鐸」と分かった。
(松帆は奈良文化財研究所提供、荒神谷は島根県教育庁提供)
淡路島(兵庫県南あわじ市)で見つかった弥生時代の青銅器
「松帆銅鐸」(7個)の5号鐸と、荒神谷遺跡(島根県出雲市)の6号鐸が、
同じ鋳型(同笵)から作った「兄弟銅鐸」だったことが分かり、南あわじ市などが26日、発表した。
松帆3号と加茂岩倉遺跡(島根県雲南市)27号との同笵関係や、松帆2号と4号が、
日光寺(南あわじ市)が所蔵する銅鐸と3兄弟だったこともこれまでに判明しており、
7個のうち4個が他の遺跡から出た銅鐸と兄弟関係にあることが分かった。
弥生時代の広域交流を裏付ける史料となる。
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